マンションが日本に誕生したのは約70年前。
実際に70歳という年老いたマンションと向き合っている人はまだほんのわずかです。
しかし国土交通省の2021年末調べでは、築40年以上のマンションは現在115.6万戸(マンションストック総数の約17%)10年後には約2.2倍の249.1万戸、 20年後には約3.7倍の425.4万戸となる見込みです。
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/content/001488549.pdf
引用元:国土交通省 築後30、40、50年以上の分譲マンション戸数
これからどんどんと高経年のマンションの問題が出てくることが予想されます。
私は20年以上「マンション管理業者のフロント」として仕事をしてきました。
「マンション管理業者」というのは、分譲マンションの管理組合から業務委託を受けてマンションの共用部分の維持管理のお手伝いをするのが仕事です。
その業務委託されたマンションで何か事故やトラブルが起きたときに「フロント」として対応します。
当時、私が受け持ったマンションというのは築年数19年のマンションでした。
しかし現在は築44年になっています。
自分が歳を取るのと同じでマンションも歳を取ります。(当たり前ですね(笑))
そしてここ数年でマンションの終活の話題が出るようになってきました。
これから管理業者のフロントとして働いている私が体験していく「マンションの終活」の様子をブログとして残していくつもりです。
これからの社会で必ず大きな問題となる「マンションの終活のレポート」はきっといつか誰かのお役に立てると思うからです。
このブログはまだ「未完成」です。
現実にマンションが終わりを迎えるときに初めて完成します。
この問題は住民の方との長い話し合いになると思います。
それまでの経緯をレポートしていきますので、ご興味のある方はお読みください。
ここからはこのマンションのことを「Oマンション」と呼ぶね
※「OLD(古い)」という意味と実際のマンションの頭文字です
日本のマンションの歴史
日本で初めて生まれた分譲マンション(1910年代~1950年代)
日本でコンクリートの建物が建てられるようになったのは【1910年代~1940年代ころ】
世界遺産にも登録された「端島」(通称:軍艦島)の住宅や、関東大震災後に多く建てられた「同潤会アパート」などが有名です。
【1950年代】に入って分譲形式の住宅が登場。
「宮益坂アパートメント」は、公的な分譲マンションとなりますが、当時は「天国の100万円アパート」などと呼ばれ、エレベーターガールまでいたというから驚きです!
それほど高級な建物だったということですね。
ここからがいわば今の分譲マンション(民間の分譲マンション)の出発点。
【1956年】に日本信販が売主となって分譲した「四谷コーポラス」という新宿区四谷にある物件です。
「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)制定(1962年)
【1962年】日本で初めて「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)が制定されました。
(※この区分所有法は「旧区分所有法」と呼ばれることもあります)
「区分所有法」とは、区分所有建物(集合住宅=マンション)で円滑な共同生活を送るため、また住人の財産を守るために、権利関係や管理についての規定をまとめた基本法です。
正式名称は「建物の区分所有等に関する法律」
「マンション法」と呼ばれることもあるよ
区分所有建物は沢山の人で一つの建物を所有しているので所有関係が複雑です。
所有者同士の利害関係を調整する必要性が高いのです。
「区分所有法」には、専有部分・共用部分・敷地などの権利関係に関する定義や義務、マンションの管理に関する規約や集会の方法、管理組合法人や復旧・建替えに関すること、その他、義務違反者に対する罰則などについても定められています。
この時期のマンションは「高級品」でした。
原宿のシンボル的なマンション「コープオリンピア」などが有名。
1965年(昭和40年)当時の分譲価格が最高で1億円を突破したことから、
いわゆる「億ション」の第一号でもあります。
分譲マンションの大衆化(1960年代後半~1970年代)
【1960年代後半~1970年代】
1960年代後半~1970年代。人口も右肩上がりに増え続け、集合住宅のニーズがますます高まっていた時代。
東京オリンピックによる景気刺激などでマンション開発が一気に進みました。
また、「マンション」という言葉が日本で生まれたのもこの頃と言われています。
この時代の間取りは「団地型」と呼ばれる2DKタイプ(40平米前後)が主でした。
1960年代後半~1970年代のマンションの特徴
- 間取りが小さく、天井が低い
- LDKというものはなく基本的にDK
- バルコニーがない物件も多い
- エレベーターが設置されている居住用マンションは少なかったため、低階層の建物が多い
- 吹き付け塗装の壁が増える
- 1974年に鹿島建設が初めて高層の椎名町アパート(RC造、18階建て)を建設
住宅金融公庫の融資制度開始(1970年代)
【1970年代】になると、個人が「住宅ローン」を組んでマンションを取得することが一般的になっていきます。
低金利の個人向け貸付ローンが広く浸透し、民間の銀行も取り扱う現在の流れへと続いていくことでマンションを購入しやすくなりました。
「武蔵小山フラワーマンション」が、公庫融資付き民間分譲マンションの第一号とされています。
「Oマンション」は1979年に建築されました
新しい形の住宅にみんなワクワクしただろうね
法律や規約の制定・バブル期(1980年代)
【1980年代】になるとマンションに関する法律や規約が整ってきます。
■ 1981年 建築基準法に「新耐震基準」を導入。
これにより、1階部分を柱のみで支える「ピロティ」と呼ばれる立体構造の集合住宅の建設が禁止になりました。
「旧耐震基準」か「新耐震基準」かは、大きな境界です
■ 1982年 標準管理規約制定
建設省(現・国土交通省)の審議会である住宅宅地審議会は、区分所有法の大改正に対応するため、1982(昭和57)年に「中高層共同住宅標準管理規約」を制定しました。
それまで1ページくらいの簡単な規約だったものが
現在の規約の元となる見本ができたんだね
■ 1983年 区分所有法の改定
1962年に制定された区分所有法も登記簿上でのトラブルや共同生活をおくっているマンション内での管理の不十分が指摘され大幅に改正されました。
(※この改定された区分所有法を「新区分所有法」と呼ぶこともあります。)
区分所有法の条文数が今までの37ヶ条から倍近くの70ヶ条に。
また、構成も、章・節となり、新たに「土地の権利の敷地利用権、区分所有者の団体(法人格のない管理組合)、管理組合の法人化、義務違反者などに対する措置、区分所有建物の建替え」などの規定が設けられました。
トラブルがあるとこうして法律も改正されていくんだね
この時代の特徴はバブル景気で地価高騰。いわゆる「億ション」の登場も。
有名なのは「広尾ガーデンヒルズ」
広尾ガーデンヒルズは東京ドーム約1.4個分にもなる、約6.6ヘクタールの広大な敷地にはケヤキの並木道が続き、全部で15棟のマンションが建ち並びます。
スーパーなどの買い物施設や、銀行、レストラン、医院などが敷地内にあり、その住環境のよさから、中古市場において資産価値を保ち続け、未だに高い人気を誇っています。
バブル期に左右された大量供給時代(1990年代)
【1990年代前半】この時期はいわゆるバブル経済下で地価が急激に高騰しました。
都心では10億円を超えるような超高級物件が供給されたり、ファミリーマンションは郊外に展開されていました。
また投資用のワンルームマンションの供給が増加していきました。
オートロックシステムが一般的になったり、床暖房の登場、バリアフリー仕様の普及など、性能面での変化がありました。
バブルが崩壊する前は「Oマンション」も3倍値上がり!
(実はそのときに私は「Oマンション」を買いました)
ただ1990年代後半にバブル経済が崩壊したあとは、地価が長期にわたって下落する中で地価が下がった東京都内に「都心回帰現象」が起こりました。
一気にマンション需要が高まりを見せ、首都圏の新築マンション分譲戸数が8万戸を超えるという大量供給が8年間という長い期間続きました。
バブルによる地価高騰の影響で郊外に拡散していたマンションが都心に近いエリアで安く購入できるということと、住宅金融公庫の融資額の拡大、低金利政策の実施でローン金利が2%程度に下がるなど好要因が重なり、賃貸の居住者がこぞってマンションを購入しました。
このときのマンションもそろそろ築30年
これからどんどん高経年のマンションが増えていくのがわかるね
マンション管理適正化法制定(2000年)
【2000年】総戸数200戸以上の大規模なマンションが増えてきたこともあり、マンションに関する法律が制定されました。
■ 2000年 マンション管理適法化法制定
都心部を中心にマンションが劇的に増え、それに比例してマンション管理をめぐる様々なトラブルが多発しました。
特に多かったのが管理組合と管理会社間のトラブル。
区分所有法は管理組合の運営についてを示した法律であり「管理会社」についてはとくに規定がありませんでした。
そこで、区分所有法を補填するかたちで2000年に制定されたのが「マンション管理適正化法」です。
「マンション管理適正化法」では、マンション管理の基本ルールと、管理組合・管理会社の三者それぞれの責任を明確にしています。
管理会社については、マンション管理業者の登録や管理業務主任者の設置、管理委託契約の重要事項説明などが義務づけられました。
また、管理組合や住民が管理会社以外で相談したり、アドバイスを求めるための専門家として「マンション管理士」という国家資格制度を創設しました。
それまではマンション管理は管理会社が主体となってやるものと思われてたのですが、マンション管理の主体は「管理組合及び区分所有者」であるということ、当事者意識を持つべきことを、努力規定として明確に定めました。
「管理業務主任者」と「マンション管理士」
私はこの時に資格を取りました
マンションの安全性が注目され始めた時代(2000年代~)
■ 2002年 区分所有法の改定
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災において被災マンションの建て替えが課題となったことや、老朽化したマンションの建て替えや大規模修繕を円滑に行なう必要が生じてきました。
2002(平成14)年には、復旧決議における買取り請求規定の整備、建替え決議要件の緩和、団地内建物の建替え承認決議の創設などが措置されました。
(※この改正された区分所有法を「改正区分所有法」と呼ぶこともあります。)
大きな災害や時代の変化に応じて法律は改正を続けているんだね
■ 2005年 構造計算書偽造問題(アネハ事件)
2005年、姉歯秀次一級建築士の建築設計事務所が、構造計算書を偽造して高層ビルを建設していたことが発覚し、日本の建築基準法の重要性が再認識されました。
日本は世界で4番目に地震が多い国であり、マンションやホテルなどの建物は耐震基準を厳守して建てられる必要がありますのでこの事件は大変大きな問題となりました。
小泉内閣発足(2001年)、六本木ヒルズ(2003年)や東京ミッドタウン(2007年)など大型複合施設が建設され、景気は上向くかと思われていました。
しかし、2008年のリーマンショックの影響や2011年の東日本大震災など、予期せぬ惨事に見舞われてきた2000年代以降。
マンションは華美なものより利便性や安全性が重視されるようになりました。
居住者のニーズに合わせた物件が今も増え続けています。
手すりをつけたり、段差を減らすなど、バリアフリーを意識した物件も増え始めました。
ペットブームを受け、犬や猫など小動物であれば自由に飼える新築マンション、セキュリティ面の強化。
高級タワーマンションなどは、訪問者が部屋に入るまでに複数回チェックを受ける物件も珍しくありません。
「2001年に品確法(住宅の品質確保の促進等に関する法律)性能表示制度が始まり、エコやバリアフリーといった特徴を、新築マンション売買の際に表示することができるようになりました。
その表示があると、一部の住宅ローンや火災保険などが安くなるといったメリットがあるため、買い手がつきやすくります。
その頃からバリアフリーのマンションが増えていきました。
まとめ
日本のマンションが登場してまだ70年。
1980年~2000年の間に爆発的に増えたマンション。
初期のマンションたちがそろそろ築40年を過ぎてきています。
これから高経年のマンションの維持管理についての話し合いが増えてくるでしょう。
「Oマンション」と共に歩んできた25年。
マンションの管理を通してこの問題を深く考えるようになりました。
人生を一緒に歩んできた「Oマンション」を廃墟化させないために管理組合の方々と共により良い選択ができるようにこれからもお手伝いをしていきます。
日本のマンションの「廃墟化」を少しでも減らすために勉強を続け発信していきたいと思います。
負の資産「負動産」を子どもたちに残さないために
マンションの今後をしっかり考えていきましょう
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